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最初に申し上げると、今回のテーマは納豆である。苦手な方は読まないほうが賢明である。
もう20年前の話になってしまうが、留学先のモスクワから精根尽き果て、ボロボロのヨレヨレのパッサパサになって帰国した1994年の事だった。
帰国した直後の私は廃人同然。病院やら何やら身体のケアが先決で最初の1ヶ月は見事に何も出来なかったが、心配して見舞いに来てくれた知人が
「 面白いTV番組を録画してあるからリハビリのお供に・・・ 」 とビデオを差し入れてくれた。その年の春からスタートしたらしいTV番組 『 料理の鉄人 』 だった。パッケージの手書きメモを見ると、6月3日/納豆対決/挑戦者・石川邦行vs和の鉄人・道場六三郎 ( 和食研究会師範対決 ) とあった。
再生してみると、
「 ワタシの記憶が確かならば・・・ 」 の前口上とともにキッチンスタジアムに登場した司会・鹿賀丈史が、モノモノしいBGMとともに3人の“鉄人”を登場させ、その中から挑戦者が中央の道場六三郎“鉄人”を指名。
ややあって、加賀丈史が 「 今日のテーマは、コレです! 」 と宣言するやいなや、ありとあらゆる納豆が大げさなBGMとともに加賀の前にせり上がって来た。そして、例のあの調子で
『 ・・・今日のテーマは、納豆ォ~~~~~~ッ!!! 』
・・・と叫んで両手ネバネバのジェスチャーをし、料理対決が始まる。
何だァよォ、こりゃあよォ ・・・・と笑いながら見ているうちに、キッチンスタジアムで2人の料理人がそれぞれの助手とともに納豆料理を作り始める。制限時間は1時間。時折レポーターが何かあるたびに調理現場から実況アナウンサーに 「 ・・・福井サぁン! 」 と叫ぶ。アナウンサーの隣では料理研究家が専門用語を交えながら解説をする・・・。“鉄人”も挑戦者も真剣そのものである。
いやはや、たかが納豆に何とも大仰な・・・・と思いつつ、ふと道場鉄人の製作する最後の
「 納豆煎餅 」 に目が行った。思わずこれには試食欲がわいた。人間は体調が絶不調でも好物の味はイメージ出来るらしい。納豆もプロの手にかかると食欲をそそる一品料理に変化するという訳である。
私は胃を全摘した2001年夏以降、肉
( 牛・豚・鯨・鳥などの全ての獣肉類 ) と、乳製品 ( 牛や山羊などの動物乳・バター・チーズ・ヨーグルトなど ) が一切食べられなくなった。身体が受け付けないのだ。焼肉屋の前を通るだけで、漂って来る臭気でたちまち腹が痛くなった。タバコの煙に加えて焼き肉の煙もダメになったという訳だった。
牛乳やヨーグルトも2001年以降、私の身体には飲物ではなく劇物となった。最初はこの事に気づかず、退院直後にホットミルクやビーフコンソメを一口飲んでは七転八倒・・・という壮絶な試行錯誤が続いた。ちなみに私の大好物だったトロロ芋やオクラのネバネバも、胃液が出ないために加熱しないと消化が出来ない・・・・という事が判った時はかなりのショックだった。
そういう身体になってしまった私にとって、魚介類や豆類
( 植物性タンパク ) は貴重なタンパク源となった。特に納豆には大変お世話になっているし私の大好物である。納豆と海草系のネバネバは私の身体に適応してくれていたのだ。肉類や乳製品が一生食べられないのは何ともないが、納豆が食べられない事だけは絶対に耐えられない。納豆が大丈夫だと判った時の感激は私にしか判らないだろう。それよりも、納豆まで身体が受け付けなかったら、おそらく私は深刻な蛋白質不足に悩んでいたに違いないのだ。
話は前後するが、1993年から94年にかけて米不足
( ・・・・と言っても本当に不足したのではなく、食糧庁のチョンボだったらしいが ) が日本を襲った。
これが江戸時代だったら 「 米騒動 」 や 「 百姓一揆 」 モノだろうが、この時には細川首相 ( 当時 ) が米輸入解禁に踏み切って賛否両論になったらしい。
「 ・・・・らしい 」 と言ったのは、私がその時モスクワ留学中で、リアルタイムに事の次第を知らなかったからでありますね。家内から国際電話で日本のコメ事情を聞き 「 ・・・・あぁ?米不足だぁ!? 」 と驚いた記憶がある。留学先のモスクワ音楽院からさほど遠くない日本大使館に立ち寄って 「 ん~~、どれどれ? 」 と新聞を見ると、確かに深刻な米不足であり、タイ米を日本米と抱き合わせで売っているとかの記事が社会面に載っていてびっくりした。
その時私が留学先で何を食べていたか白状すると、ご多分に洩れず
『 納豆ご飯 』 だったのだ。 事前に日本から送っておいた納豆 ( 乾燥状態で、湯や水をふりかけてしばらく置くと納豆が復元されるというスグレモノ。ハナマルキで発売されている ) に、刻みネギや大根おろし ( 輸入品専門のドルショップで大根が入手出来た ) 、そしてこれも日本から持ち込んだ 「 青のり 」 や 「 粉末ワサビ 」 を混ぜて掻き回し、ドルショップで入手した醤油 ( Made in Japan ) で味を調えたものを、現地米 ( 留学早々に確保していた購入ルートで入手したアルメニア米。タイ米のような長粒種ではなく、日本米よりやや小粒の短粒種 ) を炊いたご飯にかけ、フリーズドライの味噌汁と玉子焼きと共にワシワシと頂いていたものだ。
納豆は昔から大好きで、日本ソバやソーメンのツユに混ぜ込んだり、刻みネギやキムチとともにチャーハンの具材にしたり、ささがきゴボウと一緒に味噌汁の具にしたり、ツナと混ぜてオムレツにしたり、油揚げの中に詰めてオーブンで焼いて大根おろしとそばツユにつけたり、餅にからめたり、ココナッツミルクとナンプラーを効かせたエスニック魚介カレーにトッピングしたり……とにかく大好きな食材だ。意外に守備範囲が広いのである。
トーストに納豆を乗せるのもオツなものだ。ただしこの時は醤油ではなく塩もしくは味噌で味を調える。納豆に醤油とは限らない。塩をふって掻き回してそのまま食べるのも旨い。これはこれで単純にビールのつまみになる。
関西などの近畿地方では納豆を食べない人が多い。九州では熊本や大分を例外として昔はあまり普及しておらず、沖縄あたりになると納豆の存在を知識でしか知らない人が多かったようだ。北日本と違い、気温の高い西日本から南では、冷蔵庫が普及する以前は納豆が二次醗酵してアンモニア臭が発生してしまうためだという説もある。暑い地域では納豆文化は育たないのだろう。
私の親友のトランペット奏者C君
( 沖縄出身 ) は、生まれてから沖縄を出るまで納豆の実物を見た事がなく、音大入試前の受験講習会で上京した時に豆腐屋で納豆というものを初めて買ってみた。ホテルの自室に帰って包みを開けてみたら激しく糸を引いている。 「 ・・・・うッッッわ!!・・・腐ってるじゃないのコレ! 」 と勘違いして全部ゴミ箱に叩き込み、購入した豆腐屋にクレームをつけに行って、逆にさんざん笑われて帰って来た。 ( 当時、“藁づと”に包んだ納豆を豆腐屋で扱っていた。豆腐屋で売っている納豆はオイシイのだ。もったいない・・・ )
現在のC君は納豆&ゴーヤのチャンプル等を考案するなど、週3回以上は納豆を食べないと手が震えて来るという 「 真人間 」 に成長している。素晴らしい。
親友ではないが単なる知り合いのヴァイオリン奏者S氏
( 兵庫県出身 ) は、水戸納豆の製造元の至近距離に実家を持つ友人から 「 近くの工場からイイ匂いがする。この匂いだけで飯2杯はイケル 」 と誘われて現地に行き、納豆の香りを否応なしに満喫させられた。
『 これじゃ飯どころやないで。呼吸でけへんやないか!ナメとんのか! 』 と怒り狂って東京の下宿先に戻って来た。素晴らしい。
・・・コイツは私の親友でも知り合いでもないテノールのK
( 原産地不明。故人 ) だが、納豆なんて人間の食い物ではない・・・・なんて抜かしていた。コイツは40歳手前で早くも痛風と糖尿病を人生のレパートリーに組み入れ、見事なまでの自己管理意識の低さを遺憾無く発揮しつつ、男の厄年の真っ最中に 「 クモ膜下出血 」 という特急列車に乗って三途の川の向う岸へ旅立った。健康食の納豆さえ食べていたら人生の真っ盛りに死神の訪問を受けずに済んでいたかも知れない。納豆には血栓を溶かす有効成分も含まれているというから、納豆を食べていたら今でもあの憎たらしい顔で元気にステージを闊歩していたかも知れない。
日本の納豆は古代中国からの伝来説や秋田発祥説やらいろいろあるらしい。納豆の代表的産地としては秋田や山形、茨城
( 水戸 ) 、九州の熊本があり、消費は福島あたりが多いようだ。福島の旅館で朝食に出された納豆が激旨なのに驚いた事がある。
以前、野球解説者の大久保博元氏
( 水戸商高→西武→巨人 平成27年度から楽天イーグルス監督に就任予定 ) が茨城県水戸市の舟型納豆をTVで紹介していた事があった。水戸芸術館のコンサートの帰りに偶然発見して購入してみたが、水戸納豆のレベルの高さを再認識する旨さだった。この時は舟型納豆に敬意を表し、納豆ご飯以外は余計なおかずを添えずシンプルに味噌汁だけで勝負したものだ。水戸は明治以降に鉄道開通 ( 水戸線 ) に伴って土産品として 『 天狗納豆 』 が販売されて以来、納豆の産地としてメジャーのひとつである。毎年3月10日に 「 納豆早食い大会 」 が開催されているらしいが、納豆を早食いするよりもオーソドックスな品評会をやったほうがいいんじゃなかろうかと思う。
どうも私は 「 早食い 」 とか 「 大食い 」 とかのイベントが好きになれない。モノを食べる早さや量を競い合う事に何の感動も感じられないからだ。・・・・食事って、そーゆーモノじゃないでしょうが。
九州では例外的に熊本で納豆が普及していた。安土桃山時代の武将・加藤清正
( 永禄5年/1562年~慶長16年/1611年 ) が秀吉の朝鮮出兵の際、蒸した大豆を稲藁に包んで兵糧として馬に積ませていたものが馬の高い体温と稲藁を好む納豆菌によって自然発酵して納豆になった・・・との説によるそうだ。
この加藤清正という武将は保存食という概念にすぐれた人だったようで、熊本城の畳材にイグサではなくズイキ ( 山芋などの蔓。関東ではイモガラと呼んで煮つけ料理にする ) を用いたり、壁に味噌を塗り込んだり、非常事態には城のあちこちを食べられる ( 笑 ) ように造らせている。それだけに、納豆自然製造説には信憑性があると思うのだが。
熊本には全国規模の納豆メーカーがあり、昔からスーパーマーケットでごく普通に入手出来たそうだ。ちなみに熊本で公演旅行の際に現地メーカーの納豆を購入してホテル自室で試食した時は、食パンとからしマヨネーズで食べてみた。熊本出身の仲間に奨められた食べ方で、しみじみと旨かった記憶がある。
一般に納豆消費量は北関東から南東北にかけて多く、生産量は茨城県が断トツで、消費量トップは福島県、消費量最下位は和歌山県とか徳島県とか云われていた。さすかに近年では関西でもスーパーなどで普通に納豆が陳列されているから、関西・四国エリアでも食べる人が増えたようだ。学校給食で納豆の小パックがメニューに加わるようになってからは、納豆を食べる事に馴れた子供たちが全国に広がり、それ以前の全国の納豆食分布に平均化をもたらしたのかも知れない。学校給食=パン食&脱脂粉乳だった私の世代にとって、納豆ご飯が給食で食べられるなんて考えもしなかった事である。
水戸出身にもかかわらず納豆嫌いの親友がいる。彼は納豆をはじめとする発酵食品が苦手で、ヨーグルトやキムチも受けつけない。発酵食品で例外的に食べられるのは味噌と醤油、ぬか漬けぐらい。
彼は納豆アレルギーでも食わず嫌いでもなく、水戸出身者のプライドにかけて納豆だけは何度も挑戦したそうだが、惨敗・玉砕・再起不能・瀕死・発狂・腸内レジスタンス等に苛まれ、
0勝67敗 ( 不戦敗15/試合放棄4/敵前逃亡1 ) の通算成績を残して納豆戦線から引退した。ここまで挑戦してダメだった人も珍しい ( 亭主の対戦成績を記録していたカミさんも物凄い ) が、水戸出身者でなかったら0勝3敗あたりの時点で潔よく無条件降伏していた事だろう。
納豆巻きを世に出したのは東京四ツ谷にある
『 纏寿司 』 だと言われているが、今ではすっかり全国的にポピュラーな巻物である。納豆巻きにする際は私は味噌で味を調える。これは寿司職人の後輩に教えてもらった調味法だ。また、金沢あたりでポピュラーな“いしり”を醤油のかわりに使うとコクが出て旨い。“いしり”とはイカ醤油で、私はイカ塩辛を作る際には味噌や糀と共に必ず“いしり”を使用するが、納豆のタレとしてもなかなか捨て難い魅力がある。騙されたと思ってちょっと垂らしてみて頂きたい。これで作るイカ納豆巻きはなかなか格別である。
オーストラリアで仕事をした時、ベジマイトというペーストに遭遇した。
「 オーストラリアの納豆 」 というニックネームを持つ発酵食品で、ビール酵母と野菜ペーストが主原料の茶色いスプレッド ( 塩味 ) である。
このベジマイトとオリーブオイル塗ったトーストは、香ばしさと適度な旨味で忽ち私のハートを射止めてしまった。以来輸入食材店で購入してストックし、朝のトーストでは我家の食卓に欠かす事が出来ない。オーストラリア人にとってのベジマイトトーストは、我々日本人の納豆ご飯みたいなものかも知れない。
納豆ご飯用の納豆は、とにかくよく掻き回して糸を出すのが正しいという事だ。メーカーにもよるが、消費期限の2日前あたりが平均して一番旨いのではないかと私は感じる。
私が納豆を食べる時は、よくかき回して糸を引かせた納豆に、卸した辛味大根/卵黄/刻み長ネギ/青ノリ/鰹ぶし粉を混ぜ込み、3年物の再仕込み醤油
“穀醤” ( こくびしお/丸島醤油株式会社 ) で味を調えたものを玄米にかけて食べるのが常である。納豆の味を引き立てるのに不可欠と考えられる薬味をフルにトッピングするので、我が家では 「 フル納豆 」 と呼んでいる。
ただし玄米には注文がある。私は
“発芽玄米”を圧力鍋で45分加圧して20分蒸らす炊き方をしている。いわゆる炊飯器の玄米モードは使わない。圧力鍋で時間をかけて炊いた“発芽玄米”はもっちりしていて、まるでもち米のような美味しさである。この炊き方は東急東横線の代官山駅前でスクーターを使って玄米精進弁当を売っていた剃髪の住職さんとおぼしき人から伝授された方法だ。食べて美味しいだけではなく、ガン予防の薬膳治療食や再発防止食としては最高の主食となる。
( ・・・・末期ガンから生還して14年目のこの私が言うのだから、少しは信用してもらえるだろうか。 )
最後に 「 キムチ納豆 」 という一品について耳寄り情報を・・・・
キムチ納豆は、作ってからすぐ食べずに1時間待って頂きたい。
1時間経過する事によって納豆菌とキムチの乳酸菌が相互作用を起こして、乳酸菌が5倍に増えるのだ。腸内環境を調えるには絶好の一品だろう。キムチをキッチン鋏でパチパチ刻んだものを、よく糸を引かせた納豆に混ぜ合わせたら、とにかく待つ事1時間。味もそのほうが馴染んで旨味も確実に増す。
1時間熟成させたキムチ納豆を肴に飲むビールというものは、なかなか素晴らしいものがありますのよ。