仙台の「ぴあの倶楽部くらしっく」の指導内容の要綱を以下の通りに発表・通達させた。
1 ピアノ実技(レッスン受講者本人のオリジナル作品は不可)
2 クラシックの声楽(レッスン受講者のオリジナル作品は不可)
3 シャンソン(レッスン受講者のオリジナル作品は不可)
以上の3部門以外のレッスンは今後一切しない事にした。
仙台にはピアノ指導とコンサート活動が本道なのだが、クラシック声楽はアンサンブルアドヴァイスやコレペティであり、シャンソンは仕事の経験上のアドヴァイスという事で例外的に指導を引き受けている。しかし、それ以外のジャンルのものを持ち込んで来る例が昨年から増えて収拾がつかなくなって来た。
そろそろ軌道修正をしないと「ぴあの倶楽部くらしっく」が“なんでも倶楽部”になってしまう。
基本的に、私はピアノサークル生の生徒には私から課題を出さずに自主課題(ジャンルに関係なく自分が弾きたい曲)を最優先している。しかし、ピアノ以外の何でもかんでもOKだと認めた事はないのだ。
ピアノでも、自分のオリジナル曲を持って来られてもレッスンしようがない。私は作曲のレッスンを仙台ではやっていないから、アドヴァイス出来ないのだ。
“弾き語り”も論外。だいたいピアノのレッスンに「弾き語り」を持って行くなど非常識も甚だしいのだが、そういう人間が得てして“問題人間”である事は今までさんざん経験済みだ。
“弾き語り”やその指導は若い頃に私もやっていた事があるが、その部門のレッスンを仙台で看板にした事はない(…と言うか、1990年を最後にレッスン項目にしていない)。
(昔、某プロダクションで“弾き語り”の指導をした事があるが、その時はレッスン生の単独ライヴではプログラミングから何から細かく報告をさせて万全を期したものだ。ライヴのプログラムの報告の一切ない自分勝手なライヴをやらせた事も一度もない。そんな生徒に責任なんか持てる訳ないから。)
一部のサークル生に好き勝手な事を許して自分を“勘違い”させ、雰囲気が一時期最悪になった銀座P倶楽部(昨年11月から雰囲気は回復)の二の舞は御免だ。
今回の通達で“問題児”とマークしている人間が仙台の「ぴあの倶楽部くらしっく」を退会するのは大いに結構だと思っている。自分から辞めてくれる事こそが最善策だから、そういう方向にいかにして仕向けるか…の戦略は重要だ。
問題人間の割合はきわめて少ないのだから、いや、まだ少ないからこそサークルの雰囲気を回復するための機会は今を於いて無いのだ。昨年秋の銀座ピアノ倶楽部に続いて仙台も掃除しなければ、あとで必ず後悔する。「自分の立場を特別だと勘違いする」「場の空気が読めない」「一世(Issei)をピアノ指導者だと見ていない」人間は今この時期に駆逐しておかないと組織は駄目になる。
ビ・スティーレぴあの倶楽部は元より何の心配もない。
銀座ピアノ倶楽部は、T久・S原・O部・SEKI・プリンス・S田の一般クラスで良識的メンバーとなり、やっと雰囲気が落ち着いた。別の予定を入れて毎回優先早退するような輩など居ない。もちろんマスタークラスは元々問題など無い。
後は仙台の雰囲気を整えるだけになった。マスタークラス改編の指示も出し、指導内容の見直しを検討するとともに、1月27日にはマスタークラス改編にあたってマスタークラス生の個々の意見も聞く事が出来た。仙台の「ぴあの倶楽部くらしっく」もそういう時期に来たという事かも知れない。
同業仲間に昨年までよく言われた事がある。
『オマエさんはお人好しだから、サークル内でオマエさんを上から目線で見下したり、恩を着せた目で見たり、ピアノの先生だとすら認識していなかったり、そういうオマエさんをナメ切っている一部の連中にまでニコニコと指導している。東京でも仙台でもそういう事はそろそろ止めるべきじゃないのか?ナメた目で見る奴らをこれ以上野放しにしておくと組織が崩壊するぞ。タイミングを見て掃除するべきだ。』
……まさにその通りだ。
ピアノサークルは“舞浜”や“銀座マスタークラス(近々名称を変更する)”のような雰囲気に統一しなければならない。改編や掃除は必要なのだ。内心ムカッ腹を立てながら仮面をかぶって指導するのはそろそろ御免だ。
ピアノ指導の場で「弾き語り」の指導?…冗談じゃない!私のピアノレッスンをコケにするのもいい加減にしろと言いたい。