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30年来の財産

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先日、インフルエンザワクチンを接種した時の昼食に、馴染みの蕎麦屋に入った。江戸時代から綿々と続く、まさに超の付く老舗だが、かれこれ30年以上も通い続けており、2008年に今の場所に引っ越しても出前をよく頼む。配達エリアから多少外れているが、長年の付き合いで配達してくれるから助かる。



蕎麦は自家製麺。つゆも鰹の良く利いた江戸前のもの。とにかく旨いのでかなり頻繁に出前を頼むが、近くに立ち寄った時は文句なしにこの店で食べる事にしている。この

「 天ざる 」 は揚げたての天麩羅が付いて来る。だから店で頂きたい一品なのだ。出前の時は 「 冷やしたぬきそば 」 「 天丼 」 を頼む事が多い。ちなみにこの店の 「 冷やしたぬき 」 は夏期限定ではなく一年中頼む事が出来る。



私は昔から、つゆ盃に蕎麦をひと口分全部浸して食べる。誰が何と言おうと私はこの食べ方で蕎麦を啜る。だから江戸前の蕎麦はこう食べろとか通ぶって講釈をたれる野暮人間とは絶対に蕎麦卓を共にしない。どういう食べ方をするかは個人の勝手なのである。




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蕎麦は色々なところで食べるが、温鉢ではなく冷で食べる場合は必ず蕎麦湯を頂く。店によってはポットで蕎麦湯を置いてある場合があるから、そういう時には温でも蕎麦湯を入れて汁を飲む。たぬきそばの汁にトロトロの蕎麦湯を割り入れて飲むのは堪えられない。最後は蕎麦湯だけ飲んでいる時すらある。



最近知った事だが、蕎麦はもともと豊臣秀吉が大坂城築城の際に、人夫たちに砂場で蕎麦がきを振る舞ったのが関西の蕎麦の始まりらしい。後に家康が大坂城を改築した時に蕎麦職人をみんな江戸に連れて行ってしまったために、蕎麦食は関西でメジャー路線にならなかったという。昔は湯で溶いて潰し団子のようにした 「 蕎麦がき 」 が主流だったが、江戸時代に麺としての形式 「 蕎麦切り 」 が登場。麺を茹でた湯も蕎麦湯として嗜むようになる。関西で蕎麦湯を飲む事を知らない人が多いのはそのためらしい。



江戸の庶民文化に蕎麦が登場したのには訳があり、米食中心が原因で “脚気” が流行ったために蕎麦食が注目・奨励されたのだという。蕎麦や小麦を食べる事で脚気が鎮静化した、という事らしい。米食に偏るのは良くないのだろう。蕎麦に含まれるルチンというポリフェノールは大変な薬効があるらしいが、蕎麦湯に多く溶けだしているそうだ。私は単に好きだから飲んでいるが。



自宅で蕎麦を茹でる時は国産蕎麦粉十割の乾麺を茹でる。蕎麦ももちろんだが、絶品の蕎麦湯が頂けるからだ。蕎麦を茹でたあとの蕎麦湯は棄てずに、その日のうちに全部飲んでしまう。自宅茹では、これが楽しみなのだ。




さて、最初に書いた蕎麦屋だが、とんでもない老舗にもかかわらず値段は驚くほど安い。もりそば550円。先ほどの

「 天ざる 」 は注文を受けてから天麩羅を揚げる本格版にもかかわらず1050円。いずれも税込みである。私の娘はここの 「 カツ丼 」 (750円)が大好きで、「 天丼 」 は1100円で特大の海老天麩羅が2本乗ってくる。たれの具合も絶妙である。




‥‥え? その店どこにあるかって? 申し訳ないけれど教えないよ。この店は30年以上もかけて作りあげて来た私の財産ですからね。




ところで、みなさんは10年以上通い続けているお店がありますか?もしあれば大切にして下さいね。それはあなたの掛け替えのない人生の財産のひとつなんですから。






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