私は日本そば全般が好きだ。あらゆる日本そばを頂いて来た。「わんこそば」も大昔に1回だけ食べた事がある。どうも慌ただしくて私には性に合わなかった。そばぐらい落ち着いて食べさせろ!と云いたくなる。だったら最初から「わんこそば」なんか喰うな、と怒られそうだが、接待で連れて行かれた店がたまたま「わんこそば」の店だっただけのハナシで、私は接待者にあらかじめ「自分のペースで食べさせて欲しい。追い立てられるのは嫌いなので」とお断りして食べた。背後から煽られて食べる食事がウマい訳はない。ゴルゴ13ではないが、背後に立たれるのも私はあんまり好きじゃないのだ。
その店は12椀でちょうど1人前の「もりそば」と同じ位の量になる。当時私は食べ盛りの20代だったが、その時に食べたのは38椀。少ないほうだと云われたが、薬味(副菜)を含めてマイペースで楽しんで食べたせいだろう。そばの味そのものは旨かった。なんでこんな競技みたいな気ぜわしい食べ方をさせるのか疑問に思うほど旨かった。
「わんこそば」には2つの起源説があるみたいだ。
《花巻起源説》
南部家27代目当主、南部利直(1576年・陸奥/三戸~1632年・江戸)が江戸に向かう際に花巻市鍛治町の宿に立ち寄り食事を所望したところ、家人が「殿様に味の良くないものを出しては失礼」と思い、まず一口だけのそばを一椀だけ試しに出した。利直はこれを「旨い」と喜び、何度もお代わりをした。これが評判となり市民も真似をして食べるようになったという説。
《盛岡起源説》
盛岡では、祭事などの際に地主が大勢の村人や客人にそばを振舞うという風習があった。だが100人以上の相手にそばを供するには、通常の作り方では釜が小さいからせいぜい10人前しか茹でる事が出来ず、物理的に無理がある。そこで、全員にそばが行き渡るように通常の分量のそばを椀に小分けして振舞い、その間に次のそばを茹でる‥という方式で供されるようになったとする説。
私は個人的に食べ物は味わって頂きたい人間なので、「わんこそば」は自宅で茹でて食べる。宮城県の白石市は温麺(うーめん)が有名だが、この地の製麺会社では「わんこそば」の麺も製造販売している。味のグレードは極めて高い。短いだけで普通の日本そばなのだが、私は気に入っていて時々茹でる。ひと束90グラムだから私には量も手頃である。
一度、京橋にある「わんこそば」の店に誘われた事があったが、丁重に辞退した。この店が現在あるかどうか知らないが、1人前3800円(!)もする店だったらしい。1986年当時の値段だが、ネット検索などない時代だったので、後で知人から聞いた話だったが、日本そばに3800円とはずいぶんと思い切った値段ではないか?
一般庶民の私にとっては、280円から550円くらいまでを日本そば(もりそば)と認識しており、2013年現在で最も高級な「天ざるそば」でもせいぜい1300円が妥当だと考えている。それをいきなり1人前3800円と云われると、精神が逆上するのでありますよ。
1986年といえば、サッカーW杯メキシコ大会でアルゼンチンのディエゴ・マラドーナが「神の手のゴール」と「5人抜き」でイングランドを下して優勝した年である。さらに云えば、前年にバース・掛布・岡田の3割30本クリンナップ擁する阪神タイガースがぶっちぎり優勝を果たして、翌年定位置(最下位)をぶっちぎりで争っていた年でもある。新橋の牛メシ屋『かめちゃぼ』で大盛り大掛けが350円の時代であり、『直久』のラーメンが300円で食べられた時代であるぞ。「わんこそば」1人前が3800円なんてヒトをコケにした値段でよいワケは断じてないのである。薬味やら副菜やら小鉢やら付いても「いくらなんでもその値段はねェだろうよ!」と頭に血が昇る金額である。たかが日本そばじゃねえか!ふざけるんじゃない!なめるんじゃない!‥‥などと書いているうちに、新幹線はもうすぐ目的地に到着、という事になりそうである。‥‥いかんいかん、日本そばは私の大好物だからこんなイライラした状態でブログ記事を書くとロクな事を書かない。日本そばについては、精神が安静な時にあらためて論じる事にしましょうぞ。