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前半で米国に2点以上取られると予想していた。たぶん後半も失点するだろう。日本はせいぜい1点取るのがやっと…と予想している。
やっているサッカーの次元が違うから、100%勝てない事は最初から予想出来る。前半で3点取られた段階で「ああ、やっぱりね」と感じた。速報サイトから私の携帯にメールが入るから。
TV中継? 観ませんよ。勝敗は最初から明白だから。
決勝に出た事で、充分じゃないですか。お疲れ様。
今朝の5時からブラームス、ブルックナーの交響曲をたて続けに聴いた。12時までタップリ6時間以上。
(…余計な話ですが、サッカー女子W杯決勝のTVは見ていません。前記事で触れた通り、最初から結果は判っておりますので。絶対に太刀打ち出来ないと判っている女子日本代表の敗戦などわざわざ見たくないですからね。こっちは、それどころじゃありませんでしたし。)
ブラームスの交響曲もブルックナーの交響曲も、私自身一応プロの演奏家だから曲はどれも良く知っている。だが聴きたくて聴いたのではなく、何故そんなにブラームスやブルックナーの交響曲が称賛されるのか不思議で仕方ないから久々に聴いてみたのだ。
トスカニーニやフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、アンセルメ、メンゲルベルク、エーリッヒ・クライバー、ブルーノ・ワルター、この顔ぶれなら何かしらヒントを貰えるはずだろうと、架蔵しているLPレコードを引っ張り出して片っ端からターンテーブルに乗せた。だが、この歴史的な巨匠達の名録音をもってしても、とうとう私にはピンと来なかった。
(マーラーは、曲は一応知っているが聴く気にもならない)
ブラームスやブルックナーの交響曲は、確かに素晴らしい曲だ。それは認めるが、いくら聴いてもベートーヴェンやチャイコフスキーを聴いた時のような感動が貰えない。聴きごたえに関しては、シューベルト(最晩年の2曲)やドヴォルザークの交響曲が辛うじて準ずるか…という感じである。
昨日の 『 題名の無い音楽会 』 で、女性タレント(?)がブラームスの交響曲第2番の各楽章を 「 サラダ 」 だとか 「 自分の葬儀に流して欲しい 」 だとかしきりに称賛していたが、ああ、そーですか という感じである。そこまで持ち上げる交響曲でもあるまい。約20年をかけて作曲したと言われる前作の交響曲第1番にしても“起点”そのものがベートーヴェンであり、ハンス・フォン・ビューローいわく 「 この曲はベートーヴェンの第“10”番交響曲だ 」 とした評をどう考えるかだろう。ベートーヴェン級の素晴らしい交響曲だと評価したのか、ベートーヴェンの枠内を抜け出ていないと断じたのか、ビューロー本人が果たしてどう思っていたのかという事だ。私は後者である。
がっしりとした巨大な構成の音楽(交響曲)を聴きたいと思った時に、私の中にベートーヴェンやチャイコフスキーは出て来ても、ベルリオーズ、ブラームス、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィッチは絶対に出て来ない。交響曲は聴きたいと思うが、交響詩は聴きたいと思わない。交響詩を作曲出来るんだったら、なぜ 「 交響曲 」 を作らない?形式の扱いが苦手なのか(少なくともリストはそうだろう)?と穿った見方をしてしまう。だからリストやリヒャルト・シュトラウスも聴かない。仕事柄、リストのピアノ作品やリヒャルト・シュトラウスの歌曲はたまに聴くが。
数年前、ショスタコーヴィッチに関してブログ記事をアップしたら、妙なハエが一匹飛んで来て辟易した事がある。調べてみたらマーラーオタクの関係者だったので、以後ショスタコーヴィッチに関する記事をアップしない事にした経緯がある。
ブラームスの交響曲には私個人は何の魅力も感じないが、室内楽には感動的な作品を多数残している。なにもわざわざベートーヴェンを意識して交響曲の分野に多大な時間を掛けなくてもよかったのではないか、と思える。
交響曲では音楽史上で絶対的な位置にいるベートーヴェンだが、歌劇 ( オペラ ) に関しては上手く行かなかった。何しろ、「 清く正しく 」 風の道徳的な側面が見え隠れする台本ばかりを採用したために、上演するたびに失敗を繰り返していた。しかし、音楽は素晴らしかったので序曲の数々は名曲として残った。エグモント序曲しかり、レオノーレ序曲しかり。
何故、同時期のロッシーニのオペラが成功に次ぐ成功を収めていたのか。荒唐無稽・非現実的な台本だったからだ。わざわざおカネを払って教科書を買って読む人が居ないのと同じ。オペラ劇場は道徳教育の場ではなく脱日常の場なのだから。
巨大な構成力で大曲を作曲出来るから、交響曲以外の分野でも成功するとは限らないのが作曲家人生の妙なるところだろう。
チャイコフスキーもバレエ音楽に感動的な傑作を残しているが興行的には大失敗の連続で、「 くるみ割り人形 」 の初演の時などは台本作者のプティパが初演の資料から自分の名前を削除して欲しいと言い出すほどの失敗であった。しかしチャイコフスキーの音楽そのものには惜しみない拍手が贈られ、バレエとしてよりも 「 管弦楽組曲/くるみ割り人形 」 として独り歩きした時期すらあった。
午後から、ギュンター・ヴァント指揮(北ドイツ響)でベートーヴェン:交響曲第6番、ピエール・モントゥー指揮(ロンドン響)のチャイコフスキー:交響曲第5番を聴いている。やっと精神的に落ち着いた。
ブラームスやブルックナーの交響曲が大好きな人も居るだろう。ベートーヴェンに魅力を感じない人も居るだろう。それはそれで良いのだ。あくまで個人の趣味・趣向の問題だから。
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