利権の問題があり、内容に捏造等の不審点が多いナショナル・エディション(エキエル版)を私は使わない。
正直、今年はクリスマスどころではなかった。
今年秋から自分自身の打鍵を改造している最中で、それに合わせてレパートリーの焼き直しをしているが、余りにも厖大な時間が掛かる。クリスマスも正月もへったくれも無い 。( 毎年似たようなものだが…笑 )
12月には某音楽鑑賞団体の招聘でショパン・ピアノ協奏曲第1番ホ短調、第2番ヘ短調をレクチャーで弾く用事があったため、かなりの時間をかけて打鍵改造をしていたが、自分自身思うような演奏には程遠いものだった。
ピアノ協奏曲第1番ホ短調は1984年に米国ロサンゼルスで、第2番ヘ短調は1985年に台北で、初めてオーケストラをバックに弾いた。ベートーヴェン ( 1、3~5番 ) やプロコフィエフ ( 3番 ) 、ラフマニノフ ( 2~4番 ) 、グリーグは70年代に弾いているから、ショパンの2つの協奏曲はかなり後になってから人前で弾いた事になる。2曲とも人前で最後に弾いたのは1991年、私の門下生に第2ピアノ ( オーケストラ・パート ) を担当させた2台ピアノ公演。それ以後は公開・非公開にかかわらず人前で弾いていないから、随分と間が空いている。
第1ピアノ ( ソロ・パート ) ではなく第2ピアノ ( オーケストラ・パート ) になると、1992年2月に門下生 ( 現・海外組 ) の相方を務めて以来。ただ、門下生にこの2曲をレッスンする時は私は第2ピアノを弾くので、オーケストラ・パートにブランクを感じた事はない。
オーケストラ・パートといえどもレッスンと本番では当然ながら意識が異なるわけで、感覚としてはオペラのピアノ伴奏に近い。いかにオーケストラの響きを再現するか・・・・がポイントになるから、第1ピアノと第2ピアノでは求められる要素が異なるし、打鍵の方法論も違う。
第1番のソロ・パートを弾きたがる人間は、自分の実力を冷静に判断出来ない人間が多い。そういう人間を起用してコンサートを企画して私まで恥をかいた事もあったし、数年前もアマチュアの愛好家と共演“寸前”まで行ったが、とうとう本人が ( 大言壮語の割には ) 楽譜通りにマトモに弾く事すら出来ず、本番そのものが有償キャンセルになった。( ・・・・もっとも、キャンセルにならなかったとしても東日本大震災に日程が被さっていたから、どのみち公演は 「 不可抗力による公演中止 」 になっていただろうけど。)
だから、ショパンのピアノ協奏曲にはここ20年ほどマトモな思い出が無い。ショパンにはショパンとしての ( 私なりに考える ) 音色や雰囲気があり、最低限その領域にまで到達する事は絶対に妥協出来ない。ましてや基本的テクニックが追い付かず、楽譜の指定速度ですら弾けない人間を相方に起用した日には、赤っ恥をかくのは私自身である。
来年は “真っ当な実力を持った相方” を起用したピアノ・デュオ公演を制作してショパンの協奏曲2曲を演奏するつもりでいる。共演者の全面フォローなど心配せずに自分の演奏に集中出来るピアノ・デュオ公演を制作出来るのは、23年ぶりになるだろうか。曲の性格上、観客動員が見込めないから大々的にホールでやるつもりはないが、一度この企画はキッチリと決めておきたいと考えていた。イの一番にやりたいと考えていたが意に反して難色を示されたので仙台でやるつもりは無くなったが、東京で1回決めればそれで充分だと思っている。
おそらくオープンには宣伝しないだろうし、全門下・全生徒に情報を流すかどうかも分からない。
だからこそ、私自身の打鍵改造は急務なのだ。私ももう若くはないし、打鍵法を変えるのは今回が最後になるだろう。来年のデュオ公演まで果たして間に合うか ・・・・ 焦りは禁物だと分かっているのだが ・・・・