今夜3年ぶりの皆既月食
昨夜の皆既月食
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アメンバー申請に関して、本日オモシロイ事が有った。
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本日、素性不明のアメブロユーザーからアメンバー申請があったので・・・・
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当然
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関係各位へ
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今朝の報告
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カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのクラヴィーア・ソナタ
J.S.バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品は、ハイドンやベートーヴェンに多大な影響を与えている。クラヴィーア作品もなかなかの名曲がある。
YouTube ( 楽譜つき ) ⇒ マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ)/カール.フィリップ.エマヌエル.バッハ : クラヴィーア・ソナタ,イ長調 W.55 No.4
もっと演奏されてもいい曲だと思う。
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ベネデッティ=ミケランジェリによるショパン:バラード第1番(TV用映像)
アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ ( Benedetti = Michelangeli,Arturo 1920年~1995年 ) の全盛期の録音は多くはない。自己のピアニズムに 「 完全無欠 」 を要求する演奏家だったため、録音に際してさえも自分のコンディションはもちろん、使用ピアノ・室温・湿度にまで細心の注意を払える条件でなければ録音しようとしなかったからだ。
ピアニストは楽器の持ち運びが難しい。故にその場に設置されているピアノで最善を尽くす事が求められ、ピアニストの意向を受けた調律師が現場で汗を流すわけだ。しかもミケランジェリの場合は自身が演奏する場所に於いてはピアノの機能の 「 極限 」 を要求。その結果、与えられたピアノで最善を尽くす通常のピアニストとは裏腹に、完璧な演奏が可能な楽器しか使わないという、いわば 「 完全主義者 」 と言われる所以なのだが、全盛期のミケランジェリはまさにそれを地で行く演奏家だった。
ミケランジェリは極めて繊細なタッチで演奏するため、ピアノの鍵盤も彼の要求に合わせて想像を絶するほど軽く、浅く調整されていて、まるで紙のような軽いタッチの鍵盤さだったと伝えられている。40代前半の充実時代のミケランジェリによるTV収録映像は、特有の微細なタッチが窺える貴重な資料であろう。
YouTube 動画 ⇒ アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ(ピアノ)/ショパン:バラード第1番ト短調 Op.23(映像/モノクロ)
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ピアニストの「顔」について
まず、以下の5枚の写真をご覧頂きたい。いずれもピアノを前にした「子供」である。
この子供たちが成長してどうなったのか、あるいは何者に成長したのか、上から順に簡潔に紹介すると・・・・・・
【2】ダニエル・バレンボイム ( Daniel Barenboim 1942年~ /アルゼンチン→イスラエルのピアニスト。1950年8月、7歳で正式デビュー。 )
【3】グレン・グールド ( Glenn Gould 1932年~1982年 /カナダのピアニスト。1946年5月、13歳の時にトロント交響楽団と共演し、ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第4番で正式デビュー。 )
【4】セルゲイ・ラフマニノフ ( Сергей Рахманинов 1873年~1943年 /帝政ロシア出身の米国籍のピアニスト兼作曲家。作曲作品・ピアノ演奏・指揮において音楽史にその名を残した巨匠。)
【5】マルタ・アルゲリッチ ( Martha Argerich 1941年~ /アルゼンチンのピアニスト。1949年、8歳でベートーヴェン・ピアノ協奏曲第1番にて正式デビュー。1965年第7回ショパン国際コンクールにて第1位とマズルカ賞を受賞。)
谷川俊太郎氏の作品に 「 スーパーマンその他大勢 」 という24扁からなる詩集がある。どの詩も可笑しくて面白くて味わいがあるホントに楽しい詩集なのだが、その中に 「 詩人 」 という詩扁がある。詩人が毎朝自分の顔を鏡で見て、自分が詩人であるかどうか確かめる・・・・という書き出しで始まる。
サッカー日本代表監督として1993年のW杯アジア地区最終予選までチームを指揮したマリウス・ヨハン・オフト ( ハンス・オフト ) 氏は、日本代表監督の前にヤマハ発動機 ( 現・ジュビロ磐田 ) の短期コーチとして1982年に約2ヶ月間招聘された事があった。その際、
どんな分野であるにせよ、その世界で生きている 「 その道のプロの面構え 」 になって行くのだろう。ある程度の年齢を超えると人間は自分の顔に責任を持て、と言われるが、器量や顔面積ではなく“面構え”という事だ。
長くピアノ弾きをやっていて足掛け40年もピアノを教えてみると、将来ピアニストで飯が食えるかどうかは顔を見ればほぼ判る。確実なのはピアノを弾かせてみる事だが、ピアノを弾かせてみる前に面構えや雰囲気がすでにプロの顔になっている若者がごくたまに居る。経験上こういう子は、どうあがいてもピアニストになる。
ここまで読んだ方は 「 どうせ才能がある子の場合でしょう? 」 と思われた人がほとんどかも知れない。生憎だが、ピアノに才能はいっさい関係ない。仮に超弩級の音楽的センスがあったとしてもピアニストになるとは限らないのが人生のミソだ。ピアニストになるために 「 学歴 」 「 コンクール受賞歴 」 「 音感 」 「 才能 」 全部無関係だし、どんなにプロフィールを飾りまくっても肝腎のピアノがアレレ演奏だったら話にならないのでありますね。
私がいうプロの 「 顔 」 とは、ピアノを弾く事が好きで好きでたまらない・・・という顔である。例えば、デジタルゲームに夢中になってゲーム機から離れられない子供の顔、と言えばお分かり頂けるだろうか。ピアノに関しては、この 「 顔 」 が決定的にモノを云う。私の経験上、こういう 「 顔 」 をしていた子で職業的ピアニストにならなかった例はひとつもない。
だいたい、ピアニストという職業は、月給が無い、ボーナスが無い、将来の保証が無い、安定収入が無い、恩給が無い、住宅手当が無い、出世に縁が無い、国家免許では無い、社会的地位が無い
逆に云えば、それが職業的ピアニストになるための条件でもあるような気がする。ピアニストに才能だとか学歴だとかが一切通用しないのは、「 親に言われてピアノを始めた 」 という屁理屈的な“逃げ口上”とは違って、「 自分が弾きたいからピアノを弾いている。だからピアニストになりたい 」 という純粋な気持ちでピアノを弾いている人間には敵わない・・・・からでありますね。
ピアニストの顔・・・・というのは、つまりそういう人間の 「 顔 」 ではないかと思う。ピアニストとしての仕事が激減して、生活の維持のために教育機関に勤め始めると、今度はピアニストではなく 「 学校のピアノ教官の顔 」 になる。レストランやビアホールで演奏する仕事にどっぷり浸かると 「 音楽“屋”の顔 」 になる。もちろんそうした仕事の是非は問うところではないが、ピアニストであるかないかが 「 顔 」 に反映する以上、やっぱり私はピアニストの 「 顔 」 で一生を終わりたいと思っている。ある朝、起きて鏡を見て 「 他業種の顔 」 になっていた・・・・という夢を何度か見た事があるが、とても厭な気分になる。
ピアノの事を24時間それこそ夢の中でも考えているのがピアニストだ。24時間ピアノの事を考え、意識している人間と、23時間しか意識していない人間との差は、1年経った時に365時間もの差となって表れる。
365時間は勿体ない!・・・・と考えている人は、そう 「 顔 」 に書いてあるものだ。
歯科衛生
12月2日は2週に1度の歯科衛生の日だった。磨き残しのチェックと研磨&歯茎チェックと歯茎マッサージ。どんなに忙しくても歯科衛生だけは欠かさないが、先月と今月は歯科衛生をスケジュールに組むのが大変だった。年度内は一応3月まで予約を入れているが、2週間に1度これをやらないと口内が気持ち悪くてたまらない。
海外公演が多かった80~90年代は、2週間以上日本を留守にする時に出発3日ぐらい前と帰国直後に歯科衛生を入れていたが、長期の留学の時は難儀した。モスクワ医科大学付属病院で歯科点検を受け、ついでにクリーニングをしてもらう・・・という作戦を考えついてからは精神的に楽になったが、しまいには 「 あなたは虫歯が無いし、歯茎も何の異常もない。何が怖くてこんなに頻繁に通って来るのか 」 と訝られた。
人間も50年60年と生きていると、身体のあちこちにガタが来る。オギャアと生まれてから
歯茎の劣化は8~9歳から始まっているという。歯磨きのポイントを知らない人がほとんどで、歯ブラシだけで汚れが取れると思っているためだろうか、歯科用フロス
私自身が歯科用フロスや歯間ブラシを併用し始めたのは小学1年からだ。
きちんと歯科医院で歯の手入れと口腔ケア指導を受けて、歯ブラシだけでは汚れは取れない/朝は口内が雑菌だらけで、まず洗浄が必要・・・という事を学んだ。なにしろ今から50年くらい前は歯科用フロスなどという御大層なモノがない時代だったので普通の糸を使っていたが、昭和40年代の半ばに入って歯科医院で
私は起床して真っ先に歯磨き&口内洗浄をするが、これは就寝中の口内乾燥により繁殖した雑菌を洗い流すためだ。
歯茎ばかりではない。歯そのものにも注意が必要。私は虫歯は無いけれど、高校時代にサッカーの国際試合
歯科の技術はめざましい進歩があり、最新式のものでは
私がかれこれ20数年通っている歯科医院は、最新式の歯科医療技術を採り入れてくれているから有り難い。自由診療主体でやっているが、こまめに通って虫歯や歯周病にならないようにすれば、逆にお金は掛からない。昨年夏からは当家の娘も歯科衛生デビューさせた。
・・・最後にひとつ。「 口臭 」 に “化学調味料” の臭いを感じたら、その人間は間違いなく麻薬や覚醒剤をやっている。
随分前だが、新宿のとある場所で 「 化学調味料の口臭 」 を漂わせた男とすれ違った事があった。その男が漂わせていたのはそれだけではない。タバコのヤニ臭さと金属と新聞紙のインクの匂いまで伴っていた。後ろ姿の歩き方を見れば、薄汚れたズボンの内側に何かを仕込んでいる事ぐらいサッカー経験者ならよく判る。かなりの刃渡りの包丁の刃を新聞紙でくるんだものを仕込んでいる・・・・という事だ。
私は5年ほどレストランの厨房を経験しているので、包丁の匂いはイヤというほど知っている。しかし、くだんの男は厨房に携わる人間の風体ではない。あんな不衛生な人間は厨房から叩き出されるはずだ。
私はその男の後を追い、途中交番で手短かに説明してその男を職務質問してもらったところ、後で刃渡り50センチ以上の牛刀を携えた覚醒剤常習者だった事を教えられた。あれを新宿の街中で振り回されたら間違いなく死傷者が出ていただろう。
自分の臭いは自分では気がつかない。だから、絶えずチェックしていなければいけない。何の理由もなく臭いを発する事はなく、そこには何らかの原因が必ず存在する。「 口臭 」 「 体臭 」 は何らかの危険信号なのだ。これを最も鋭敏に感知出来るのが他人ではなく自分自身だったらホントに助かるのだが・・・・。
作曲家の生誕 or 没後〇〇〇年‥‥やるなら徹底的に演出を。
来年はロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービン ( 1872年~1915年 ) の没後100年で、スクリャービンのリクエストを来年何件か頂いている。ロシア帰りのピアノ弾きという事もあって本当ならスクリャービン・リクエストの雨あられ・・・・になっても仕方がない所だが、オファーが来た時点で必死に食い止めた甲斐があって ( 後述 ) 今のところ7件で済んでいる。行った先々でスクリャービンばっかり弾かされる羽目になったら、しまいには気ィ狂いますよ。
今年の上半期はベートーヴェンとラフマニノフが多かったが、下半期はドビュッシーやショパン、ガーシュインを弾く機会が多かった。関係者限定コンサート
例えば、バッハ ( 1685年~1750年 ) 生誕300年のメモリアルイヤーだった1985年は、バッハ専門の私でも流石にウンザリするほどバッハ、バッハの連続だったし、モーツァルト ( 1756年~1791年 ) の没後200年にあたる1991年には、年内にモーツァルトのピアノソナタ全曲公演を6~7数回にわけて2度も弾くハメになった。
日本人は、生誕何年とか没後何年とかの“区切り”が好きらしく、お陰で 「 翌年は誰それの生誕150年、誰それの没後100年 」 という事をアタマの片隅に入れておかねばならないからホントに面倒だ。
一番怖かったのは2009年。翌2010年がショパン生誕200年にあたるから、ショパンばかりがリクエストされるのかな・・・と緊張していた。こちとらは一応仕事だから一般に人気の高い作曲家の曲はだいたい網羅している。ピアノ曲では特にショパンの人気が日本では高い。だからリクエストされれば弾くが、バッハ専門 ( バッハ弾き ) で演奏活動をスタートした私は元々ショパン弾きではないし、むしろロマン派音楽はどちらかと言うと苦手なほうに入るだろうか。バッハは当然としてベートーヴェンやモーツァルト、ロシア物、フランス近現代物を弾くほうが性に合っているし、ショパンやシューマンやリスト等のいわゆる 「 ロマン派作品 」 は私にとっては作りにくい。特に日本ではショパンのファンが多いから、弾く以上はロマン派的要素を相応の水準まで高めたものを出す努力をしなければならない。あまり得意ではない分野でもそれなりの水準を示さなければならないのが辛いところだ。そんなワケで、2009年のプレッシャーは正直かなりのものだった。
だが、幸い 「 来年はどこもかしこもショパン一色でしょうから、今回一世(issei)さんにはベートーヴェンを・・・ 」 とか、ショパンを外したオファーが予想外に多く、正直なところホッとした。日本にはショパン弾きがたくさん居るし、来日演奏家の二人に一人はプログラムにショパンを入れている。わざわざ専門外の私にショパンを弾かせなくても・・・・という事であろう。日本だけでなく、 「 ショパン弾き 」 は掃いて棄てるほど存在するからだ。
所属事務所からは 「 取り敢えず記念イヤーなんだから、ショパンに関するプログラムで、1回だけでいいから何かやっておいてよ 」 と言われたので、東京オペラシティでショパンを並べた一般公演を3月にやった。ショパンをメインに据えたコンサートはこの年はこれが唯一だったが、どういう訳だかこの時のコンサートが評論家から好評を頂き、2年後の2012年に再びショパン公演
「 記念イヤー 」 というコンサートなら、もう少し楽しいもの・・・と言うか、ブっ飛んだものを企画してもいいのではないかと思う。ショパン生誕200年とかリスト生誕200年とか、アタリマエ過ぎて面白くも何ともない。
私が1992年に自主企画した
音楽に直接関係するテーマなら、せめてひとヒネりして
とにかく来年2015年はスクリャービン没後100年。来年の音楽界は猫も杓子もスクリャービン、スクリャービンの大盤振舞中華三昧、あまりにもスクリャービンな1年になるんじゃなかろうか。
初期のスクリャービン作品は、ある種ショパン的な雰囲気をどこかしら漂わせていたが、だんだんアレレ的に妙な方向に進んで行き、「 白ミサ 」 だの 「 黒ミサ 」 だの 「 悪魔的暗示 」 だの、奇々怪々な題名の曲を作るようになり、神秘和声と云われる摩訶不思議な和音を駆使しまくった。この和音は和音で面白いから私は必ずしもキライではないが、よほどの “通” でない限り一般の人々の耳には 『 何が起こっているのか全くわからない音楽 』 にしか聞こえないだろう。
だから、今年 ( 来期分の ) オファーを受けた時は
一般の人々に判りやすく、しかも刺激的でオモシロくスクリャービンのコンサートをやりたいのなら、奥の手が無いわけではない。テーマが神秘主義にハマって行ったスクリャービンなんだから、単純明快に
ステージの客席側には生け贄の動物死骸に見立てたヌイグルミをズラリと並べ、コンサート開演直前には司会者がラテン語の聖書を逆さに発音して読んで行くとか、エクトプラズム ( もちろんニセモノ ) を吐かせるとか演出を徹底し、演奏者はマイク解説で 『 ・・・・はあはあはあ、今宵は黒魔術の会にようこそ。はあはあはあ・・・・ 』 と、目をギラギラと血走らせてスタートする。こういう演出は、最初の段階でピアニストがトリップしていないとダメなのだ。
喪中につき、年末年始のご挨拶を失礼させて頂きます
お知らせ
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空前絶後のシュトーレン
思いがけずに頂いた手作りシュトーレン。クリスマス時期にドイツで食べるケーキで、クリスマスの日まで少しずつカットして大切に食べるものだ。ドライフルーツが贅沢に使われたずっしりと重いシュトーレンは、そんじょそこらの店で気軽に入手出来るようなものではない。
シュトーレンなるものを初めて食べたのは30年以上前。1981年に西ドイツ ( 当時 ) のバイエルン州トゥツィンクで食べた。あのブラームスの避暑地であり、ピアニストのエリー・ナイの記念碑 ( 2006年5月にアップした過去記事参照 ) があるトゥツィンクだ。現地の一般家庭で手作りされたシュトーレンは、レーズン入りのパウンドケーキしか知らなかった私には青天の霹靂だった。身も凍る寒さの12月のトゥツィンクで、ホットワインとともに頂いたシュトーレンの何と美味かった事か!
以来、12月に欧州 ( 特にドイツ圏 ) を公演する時の楽しみは各地のシュトーレンを味わう事だった。いずれも一般家庭の手作りシュトーレンで、店で買えるようになったのはベルリンの壁が崩壊してだいぶ経ってからだった。ケルンのパン屋で見つけたシュトーレンは他のパンやケーキに比べてびっくりするほど高額だったが、ずっしりと重量感のある本格的なシュトーレンで、ほとんどが受注製作だという事だった。材料を吟味してドライフルーツやナッツ類を贅沢に使って製作するシュトーレンは、店にとっては割りに合わないケーキなのだという。
さて、このたび私の手元に贈られたシュトーレン。・・・・もう
昨夜は銀座ピアノ倶楽部の年内最終レッスン。前日までの厳冬の仙台での疲労が一晩経っても抜けず、食欲も出ず・・・・そんな中でのレッスンだったのだが、帰宅して2カットのシュトーレンを口にした瞬間に疲労がスっと抜けた。温かい飲み物とこのシュトーレンの上品な甘味と旨味がどれだけ私のテンションを修復し、癒してくれた事だろう。しみじみと頂きながら 「 ・・・・幸せだなぁ 」 とジンワリ涙目になった。
こんな素敵な贈り物を製作して下さった人に、私はこれから何の恩返しが出来るだろうか。大切な人の真心を頂きつつ、壮絶なスケジュールだった今年もようやく暮れて行く。私はやっぱり幸せ者でありますよ。
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ハンマーヘッド用の整音工具(フェルトピッカー)の重要性について
今年、関西の某ホールで公演をした時に、設置されていたピアノのコンディションが悪くて頭を抱えた。YAMAHAの前身 「 日本楽器/NIPPON GAKKI 」 の頃のフル・コンサートグランドだったから、軽く40年は経っている。おそらくその間ハンマーヘッドの調整は1回やったかやらないか ・・・・・・ と推定された。
とにかくハンマーヘッドのフェルト部分がカチカチで、音色どころか音質がパリンパリン。ここまでハンマーヘッドが硬化していたら、もはやタッチや左ペダル ( una corda ) で対処する事も出来ない。
そこの専属調律師にハンマー調整による整音を指示したところ、「 出来ない 」 と言う。しかも、あろう事か 「 調律で出来るだけ対応 」 とか抜かしたのには唖然とした。調律と整音は全く別の作業である。
調律師が作業を終えてホールから姿を消したところを見計らって、扉に内鍵を掛けさせ、私はピアノの蓋を外してアクションを引っ張り出し、スタッフに借りた安全ピンを使ってハンマーヘッドに針を打って行った。88鍵分全部であるから時間の掛かる作業になったが、自分のリハーサル時間を犠牲にしても硬化したハンマーヘッドを軟らかくしないといけない。針を打ってはアクションを押し戻して音色確認、またアクションを引き出して針調整・・・・を繰返す。
本来なら、ハンマーヘッドに針を打つ
普通ピアニストは演奏だけ担当し、ピアノ調律は調律師の担当だ。だが、調律師の意識レヴェルや技能が低かったりして、尚且つピアノに難があった場合、取り敢えずのハンマー調整くらいは出来ないと大変な事になる。年に1~2回は調律工具・整音工具が必要になる場合があるから、私はひと揃え自宅に用意してあるのだが、このたびのアクシデントに備えて
ピッカーは4本針のものと1本針のもの。腕利きのコンサート調律師ならば、5本針や7本針のものを自作あるいは特注して持っている。私の4本針ピッカーは通常販売品だが、1本針のものは懇意のコンサート調律師に作成して頂いた。
私は小学校から中学2年の半ばまで、早期音楽教育家の家に内弟子として住込み、そこから学校に通っていた。教育家の先生のご主人は、日本調律師協会の会長経験者である。そのため自宅にはピアノ作業工房があり、私は調律工具や整音工具にまみれて育った。だからピアノの基本的構造はよく知っているし、住込みの若手調律師のお兄さん達から作業のやり方も習っていた。ハンマーヘッドにピッカーで針を打つ整音作業は経験を必要とする熟練の作業であり、簡単には出来ない。ただ、最低限の整音・部分的調律くらいは出来るようにしておかないと、場合によってはカチンカチンの音しか出ないピアノでコンサートをしなければならなくなってしまう。
コンサート会場に自前で調律師を連れて来られるホールと、専属調律師にしか調律させないホールとがある。ホール専属調律師が管理しているピアノで、マトモなピアノに出会った事は一度もない。ハンマーヘッド調整 ( 整音 ) が出来ない・・・・或いはヘタクソな調律師が専属で囲われていた場合、ある種の覚悟を決めなければならない。私が東京圏と東北圏でそれぞれ超一流の名人調律師に頼っているのは、調律・整音でコンサートの出来映えが半分以上左右されるからだ。
12月20日の仙台クリスマス公演は東北エリアで頼りまくっている遠藤名人のお陰で、普段知っていたそこのピアノとは似ても似つかない 「 名器 」 になっていた。私みたいに演奏者が二流であっても、コンサートを担当する調律師は超一流でなければならない理由がここにある。
一昨年の秋にハンマーを全交換した際、旧ハンマーのヘッドをいくつかそのまま頂いた。整音作業の練習用に大いに役に立つのである。ピアニストは、時としてこうした作業も出来るようにしておかなければならない。本来ピアニストがやる作業では断じてないのだが、演奏会場のピアノのハンマーがカチンカチンで尚且つ専属の調律師が 「 オハナシにならないレヴェル 」 だったとしたら、にっちもさっちも行かなくなって泣くのはピアニスト本人だからでありますね。